−『東京湾炎上』『地震列島』『首都消失』−

 とにかく女の裸を出しゃいいんだろとか、とにかく火薬をボカンボカン爆発させりゃいいんだろとか、ドラマや演出に尻を向けた、独身者レンタルビデオ週末のお供に一泊三百円お客さんも好きでんな映画は数知れないが、実は日本のメジャー製作の大作映画にもそういった単純明快な内容の映画が多い。

 今回取り上げるパニック大作映画『東京湾炎上』『地震列島』『首都消失』も、その最たるものである。東京湾が炎上すりゃいいんだろとか、地震が日本列島を襲えばいいんだろとか、首都が消失すればいいんだろとか(良くないか)、発想はシンプル。もともとこの一連の東宝パニック作品は『日本沈没』(73年)の大ヒットに端を発する訳なのだが、これに味をしめた東宝は、ベストセラー本を特撮を使って映画化すれば当たると判断したのか、『ノストラダムスの大予言』『エスパイ』と立て続けに同種の作品を発表し、75年に『東京湾炎上』を送り出す。

 田中光二の『爆発の臨界』を映画化した本作は、タンカーがゲリラによってシージャックされ、それを楯に日本政府が石油コンビナートの爆破を迫られるという話。もし断ればタンカーは東京湾内で爆破され、火災と有毒ガスで東京一円は原爆を落とされたのと等しい被害が出る! それを防がんとする日本政府は特撮映画のスタッフを秘密裏に召集、特撮フィルムと実況中継を巧みに編集して放送、ゲリラの目を誤魔化そうとする。このアイデアは、なかなか面白い。

 ところがほかではなかなか良い特撮場面も、肝心のコンビナートの爆発場面に限って誰がどう見ても特撮丸見えで、これでは企画倒れもいいところ。まるで三原順子の裸目当てで『人形嫌い』を観に行ったら、吹き替えてるのがミエミエでした〜という感じ(わかんねぇよ)。おまけに事件発生時に、偶然特撮映画で、ゲリラ指定のコンビナートが炎上するシーンが撮影済みだったという調子の良い展開にはのけぞりもの。死人も甦る現在のCG技術で、リアルタイムに偽の放送をするという話だったら、リアルだったのにねぇ。

 しかしそんな弁解も許されないのが、80年の『地震列島』。「列島」といっても、話は東京直下型地震。同じ地震を扱った映画としては、すでに『大地震』(74年)というロサンゼルス大地震を基にした洋画がある。特殊効果やスタントマンを駆使した迫真の描写に加え、未亡人ジュヌビエーブ・ブジョルドと交際するチャールトン・ヘストンが、それを妬む妻エヴァ・ガードナーと不仲になるが、大地震に巻き込まれ、最後(ブジョルドに意図的に転落させられて!)地下の濁流の中でもがくエヴァを助ける為にヘストンが飛び込み、そのまま二人とも水中に没してしまうというドラマも水準を上回っていた。

 後発の『地震列島』も、このようなウェルメイドな作品をお手本にして少しは地震大国ニッポンの面目躍如と期待をすれば、肝心の地震の特撮はミニチュア然とした場面が散見するだけで、スケール感は皆無。何故なら映像で語るべき崩壊模様の大半が、首相官邸地下の政府首脳に口頭で報告されるばかりで、臨場感が無い(戦争映画で「敵船団があふれ返って海が見えません!」と怒鳴っているだけで敵を映さないのと同じ)。そしてドラマの後半は主人公勝野洋と夫婦仲の冷めた松尾嘉代が地下鉄に閉じ込められる部分と、勝野の愛人多岐川裕美が崩壊する自宅の高層マンションで騒ぐ部分の二つに集約され、結局勝野は我が身を犠牲にして地下水に呑み込まれそうな乗客と妻を救う……って、そんな設定だけパクってどうする、脚本新藤兼人! アクション・アドバイザーに風間健を呼んでも、何の意味も無いぞ! しかも最後、突然大雨が降り出して地上の火災がすべて消えてしまうという『タワーリング・インフェルノ』の数万倍のスケールと数億倍の説得力の無さを持つ場面と、松尾の濡れた顔のアップで終わるという、唐突かつ脱力する結末には呆れるのみ。「この国の防災体制はどうなっているんだ!」と首相が自分の事は棚に上げて八つ当たりばかりしているのは妙にリアルだったが。ちなみに本作のポスターに描かれた、新宿の高層ビル群が炎の中、真っ二つに折れて崩壊するという場面は微塵も出てこない。

 ところが歴史は二度繰り返す。87年『首都消失』のポスターに、やはり新宿の高層ビルが稲妻に貫かれる絵が使われているが、やはり映画にそんな場面は無い。正体不明の雲によって東京が周囲と完全に遮断され、東京無しで国家としての体制を維持しようとする日本の政治・経済の動きをシミュレートした小松左京の原作小説を映画化した本作は、監督舛田利雄、音楽モーリス・ジャール(『アラビアのロレンス』の!)、スチール原田大三郎という豪華スタッフを揃えた期待高まる大作だったが、案の定映画は、「雲」を突破しようとするマスコミ・科学者達中心の物語になってしまっていた。

 スティーブン・キングの大長編だって、省略&再構築しだいでは2時間の映画に仕上がる。しかしこの映画、政治経済の動きはおろか、人間ドラマも雲をめぐる攻防も全て中途半端。そして最後、突如雲が消え始めて映画は終わってしまうのである。雲の正体は解明されないし、雲に閉じ込められた人間達がどうなったかを明かさないまま(犬は出てくるが)! 要するに2時間かけて『光る眼』の導入部分だけを描いた作品なのだ(我らが渡瀬恒彦の熱演は光るが)。

 これらの作品は作品的にも興行的にも(一部を除いて)失敗に終わった。大衆娯楽作品としての、怪獣以外のSFパニック映画の製作が顧みられない現状の礎となったこれらの作品の傷跡は深い……って、マジになる事もないか。


Back to A-Room

Back to HOME